2012年5月22日火曜日

イルカのねむり方(光村図書・国語三上)

音読の宿題では,「関口さん」「関口さん」と

2ページで4回も連呼していただくことになるので,

おうちのかたが,なんじゃこりゃ?と気になることもあるようです.

昨年,何件かメールで問い合わせをいただいたので,

今年は先手を打って,FAQを出しておきます.


ひとつめ~
Q:つぶる目を交代させる時,内側につぶる目がくるように,泳ぐ向きは逆になるのでしょうか?

A:そのとおり.半球睡眠で,脳全体をうまく眠らせる方法は二つあります.

ひとつは,Qにあるように,周回方向の反転です.
これは,単独個体や母子ペア(下の写真)で見られます.

周回方向が変わっても,内側の目を閉じているので,
結果的に,脳全体が眠れると考えられます.



もうひとつは,場所交換です.
大人イルカの群れの場合には,横並び(下の写真)になります.



このとき,イルカどうしは隣のイルカ側の目を開けており,反対側は,閉じております.
つまり,並んでいるイルカの左右の位置で,半球睡眠の側が異なることになります.
しばらくすると互いの位置を入れ替えます,これにより,睡眠側も切り替わると考えられます.

方向転換も場所交換も,一時間に2~3回起こります.

なお,カマイルカなど,私が観察した以外の種類でも,
この場所交換は観察されています.




イルカは,日中でも,頻繁に寝ています. 機会があれば,水族館などで,しばらく観察してみてください.


つぎは,子どもからの質問をまとめて.

1)関口さんの好きな動物はイルカ以外にいますか?

哺乳類全般は好きです.



2)今、何か動物を飼っていますか?

いまは子育てでいっぱいいっぱいで,“動物(哺乳類)”は飼っていませんが,
庭の池に,コイとザリガニがいます.
水槽には,ヌマエビとミジンコを入れて,甲殻類天国を作っています.
中学~高校の頃は犬を飼っていました.


3)イルカの研究を始めたきっかけはなんですか?
4)イルカ以外に研究をした動物はいますか?あるいは、今イルカ以外の動物を 研究していますか?

海と動物(哺乳類)が好きで,自分の研究対象にしたいと考えていました.
イルカ・クジラ・アザラシを候補に考えましたが,クジラは大きすぎて怖い.
アザラシは生息地が冷たい海なので,寒いのは嫌.
と,消極的にイルカ研究にたどり着きました.

イルカ研究の問題点は,イルカの動きが早すぎることです.
とても人間の速度では追いつきません.
もし,もっと動物のことを勉強してから,研究対象を選びなおすなら,
たぶん,”ジュゴン”の研究をすると思います.


5)子どものときの夢は何でしたか?

あまり具体的なに考えていたことはありませんが,
子どものころから,生物系の研究者になりたいと思っていました.
たぶん,祖父が獣医,父が生化学者という,環境のせいもあると思います.


6)動物の研究をとおして、世界のみんなに伝えたいメッセージはありますか?

人間も動物の一つの種類であることを忘れてはならない.
生身の人間はとても弱い,エラそうなことを考えると,しっぺ返しを食らうゾ.


7)すばり、関口さんにとってイルカとは、どんな存在ですか

「イルカが賢い」というイメージには,反対したい部分もありますが,
実際のところ,ヒトとイルカは哺乳類の中で,もっと言えば,脊椎動物の中で,
もっとも脳神経的に,社会的に発達した2種類です.

ヒトがヒトを調べても客観的になれずに,理解できないことも,
イルカを調べることで理解できることがあります.
私は,イルカを知ることはヒトを知ることだと考えています.


8)ずばり、関口さんにとって動物研究とは、何ですか?

上記の答えと重なりますが,動物を研究し,理解することで,
ヒトと動物が異なることももちろんあるが,
共通することも多くあることが発見できます.

人種間,宗教間も同じだと思いますが,相手を知ることで,歩み寄れる.
いろいろな動物を知ることで,動物との関係も変わっていくと考えます.
(たとえば,発見当時のゴリラは悪魔だと考えられていました.今,そんな考え をする人はいませんよね)

2012年5月19日土曜日

ヌマエビの脱皮殻

水温が上がってきて,水槽のエビたちが先週あたりから,抱卵はじめています.

ふと見ると,卵ごと脱いでしまったオバカッチョがいます.



すかさず,卵を食べられています.

でも,自分で自分を食っているのかもしれません.

わかりません.エビの個体識別は困難です.
 
卵は,体の外にあるから,脱皮ししたら一緒に脱げちゃうの仕方ないですね.

でも,これでいいのか?抱卵中は脱皮しないとか,そういう禁則処理はないのかしら.

2012年5月17日木曜日

リフォーム(トイレ増設)完成

トイレ使用者は,いまのところ4人ですが,
なにかと使うタイミングがかち合うので,トイレ増設.

元.
左側から半間ずつ,床の間風(→ほぼ物置状態),仏壇置場(実家へ移送),押し入れでした.
左寄り1間ぶんをトイレにします.

破壊.
トイレ部屋作成中の状態.
中央上寄りの「〇」が換気扇の穴,
下のほうに,井形にむき出しになっているのが,
壁から給排水の下ごしらえ.

完成.
ほら,まるで,押し入れ.
トイレがあるなんでだ~れも思わない.


オープン!
ね,トイレ(+天袋付き).
INAXの節水トイレです,水道料金減るかな?

さて,見どころは柱材.
檜よ,ヒ・ノ・キ.

檜造りといえば,風呂ですが,
このトイレ部屋,柱,垂木などの使用角材は,
檜で作ってもらいました.
いい匂いだよ~

建具屋のオッチャン(ジイちゃんだな),
こんな仕事久しぶりだよ~って,
うれしそうに時間かけて微調整してくれました.

さて.
使ってみます.

2012年5月16日水曜日

真間川に小魚が上がってきてます


あたたかかくなってきて,生き物どもは鋭意,繁殖中.

おそらく,ボラと思われる稚魚が,数十匹単位で,真間川を遡上中.

といっても,真間川は,どっち上やら下やらワカラン川ですが.

動画,見にくくてごめんなさい,照り返しで何が何やらわかりませんね.

ピチャピチャしているのが,稚魚たちです.

2012年4月9日月曜日

商大の桜

商大(千葉商科大学)の桜って,書いたけど厳密には,公道の街路樹.

商大と市川市の体育館との間の細い道の間が,桜のトンネルになる






きれいでしょ.
左側が大学,右側が市の体育館.

ひとけが少ない隙を狙って撮影しました.
この時期は,弘法寺から里見公園へ歩いていく花見見物で,
けっこう歩いている人がいます.

んで,この桜のトンネルを上から見ると...

桜のカーペット(クリックして拡大してみてね↑).

ん~,これは,実物のほうが何倍もいいな.
ふわふわと,この上を歩けるような気がしてきます.

2012年4月7日土曜日

311直後の行動について,備忘と言い訳を兼ねて



年度はじめは,教員同士会う場面も多くて,
(居室が同じフロアでも,けっこう会わないものなのです)
そうすると一年前の話になって
「関口サン,どうして,建物から出てこなったの?」と,
あちらこちらで訊かれた.

どうしてか?
一番の理由は,防災科学研究所の強震モニター,これを,その時にも見ていたから.
東北が震源なのを見ていたので,これで逃げるわけにはいかないだろ,
という,意味不明な自信.

で,なんでそんなもの見てるの?ってコトになるんですが,
ワタクシ,防災マニアなのです.たぶん.
2008年の岩手内陸地震の後,地震系サイトをウロウロしていたら,強震モニターを見つけました.これはいい!と.
ある意味,これのために,デュアルモニターになっている...

それも,こんな本「職場を守る防災管理便覧」を書いている,祖父の影響大だと思われます.20年ほど前,はじめての一人暮らしのとき,カセットコンロがプレゼントされました.友達と鍋でもやれ,ってことだと思ったら,防災グッズだと言われました.

その甲斐あって,人生最初のボーナスをヤマハの小型発電機に投入するという,
ヨメの目が点の暴挙に出てしまいました.昨年の計画停電の際,さいたま市はバンバン停電したので,大活躍してくれました.
(ガス給湯器も水とガスだけでは動きません,電気必要なのですよ~)

さて,311その時は.
午後のコーヒーを入れて,一階の郵便物チェックに行って,
6階の部屋へ戻ってきて,イスに座ろうとしたところでした.
(EV閉じ込めスレスレだ)

強震モニターに赤が出始めました.仙台周辺です.
二日前の余震だと思っていたら,赤はどんどん濃くなる.
若干の揺れを感じ始めるとともに,関東もオレンジに,そして赤へ.
こちらが赤くなっても,仙台方面はどす黒い赤のまま.
ってことは,しばらく揺れるんだなぁ,と思っていると,
本棚がユッサユッサ始まる.
 「おいおい,そんなに揺れるんかい?」と思い,立って,本棚を抑える.
オッと,気づいて,2リットルのメスシリンダを倒しておく.
さらに,ゆれるゆれる.「これはちょっとヤバいな」と思い,机に潜る.

ようやく収まって,モニタを見ると,ちゃんと動いている.
ただし,ほぼ全国が黄色以上.あ~あ,と思いながら,本の片づけを始める.
(ここで,建物から避難するのが正解ですね)
入れたばかりのコーヒーが,底に2センチほどしか残っていない.
これが一番揺れの激しさを実感したかもしれない.
が,そのときは「(コーヒー)入れたばっかやぞ!」という方向性の間違った怒り.

多少の揺れの続くなか,落ちた本の片づけがだいたい終わって,1515
関東での最大余震,茨城県沖M7.4(事後修正で,7.7だったかな?).
これは揺れた.ど~んときた.
本震より揺れた気がする.本震以上に恐怖心を覚えた.
本棚も抑える余裕もなく,机に潜り込む.
怖くて机に潜ったくせに,再度,バラバラと落ちる本を見ながら,
「あ~~,片づけたばかりなのに~!!」と,やり場のない怒りが,またももたげてくる.
ヒトの精神状態って,いい加減なものだと,けっこう客観的に見ていたりした.

揺れが収まり,当然のごとく,本が再び散乱.
「も~,今日は片づけねぇゾ」と,パソコンに向かうと,
向かいの部屋の先生から電話が.
「関口サン,大丈夫?外へ避難したほうがいいよ」と.
そこでようやく,「あ,避難しないを迷惑かけちゃうな」との思いと
「これだけ揺れば避難するんだ」と妙な納得をして,
ちゃんとヘルメットかぶって,階段下りて出ていきました.

余裕があったわけではありません.
避難するというオプションの順位が低かったのです.

(余談)
避難しない.これは中学の時の体験があると思われます.
2から,いわきへ転校しました.
引っ越してすぐのころ,震度4くらいの地震が続きました.
あるとき,けっこう大きい揺れが来たので「避難しないんですか?」と聞くと,
教師は「しない」という.
体育館にいました,天井灯がガシャガシャいうくらいです.
「じゃあ,どれだけ揺れたら避難するんですか?」と聞くと,
「逃げたきゃ,おまえだけ逃げてもいいぞ」という.
回答になっていませんね,教育にもなっていません.
そんなこともあり,地震で避難するのは「訓練」だけ,と思い込んでしまったようです.ダメ人間の出来上がりですね.

ただ,言い訳すると,
避難は「揺れが収まってから」ですね.
311のときは,強震モニターを見ていると,収まらないのですよ.
繰り返し,繰り返し,モニタが赤くなる.
もちろん,体感でも揺れを感じます.
そのなか,6階から降りていくのはそれもそれで危険かなと.

ま,なにはともあれ,必ず起きる“次に備えなければならない.
まずは,食料,ガソリンの備蓄.
これは,のとき,自分に被害がなければ,救援物資として使える.
“次”は,何も災害ばかりでない.(気が向いたらつづく)

2012年4月2日月曜日

千葉商科大学の河津桜(カワヅザクラ)

本日(4/2),入学式.
 
近年,入学式には,桜も散り始めだったが,
今年は,寒いので桜が遅い.
河津桜がようやく,満開を越した感じ.


大きくして見てね,ホントに,きれいだよ~ (↑)

左手のレンガっぽい建物が1号館.

公衆電話もちゃんと現役.

今年の担当は,経営4組.
なかなか良い雰囲気の学生たちでした.

2012年3月26日月曜日

水槽のケンミジンコ





日なたに一年中放置してある30センチ水槽.
冬の間にギギ(?)が死んで,脊椎動物は全滅.
いまは,甲殻類天国になっている.
 
暖かくなり,水温が上がってきて,泳ぎが活発になったミジンコが何やらぶら下げている.
もしや,と思い,ペンタックスのWG-1で,撮影(顕微鏡モード).

あら,けっこうきれいに映るじゃない.
卵もちゃんとわかるし.

こーゆーコトしていると,家を出てくる時間がどんどん遅くなる...

2012年3月19日月曜日

核を使うコトの生物的違和感


多くの生物は,その時その場の太陽エネルギーを“源”に生きてきた.肉食動物の食べる肉も元をたどれば光合成産物である.「生きてきた」と過去形で書いたのは,ヒトは,その時代以外の太陽エネルギーの蓄積を使いはじめたからである.19世紀,太陽エネルギー由来の過去の遺産である化石燃料の炭化水素を大規模に使いはじめた(ただし,石油の由来には異説もある).これにより,夜の明るさが確保され,その後,自動車が一般普及した.昼夜を問わない生活環境と,移動時間の短縮が叶えられた.ところが,これにより生物本来の必要以上に“忙しさ”は増していった.便利にはなっても,なぜか楽にはならない,そんな人間社会の進化が始まった.

さらに20世紀に入り,原子燃料(核燃料)を使う発電を始めた.原子“燃料”を原子“炉”で燃やすのだから,当然,ぼうぼうと炎を上げて燃えているように思わないだろうか.膨大な熱と強烈な放射線を出しながら暴れ狂う火の玉を原子炉格納容器が押さえ込んでいる,そんなイメージを私は持っていた.だが,違う.原子炉で炎は上がらない,なのに恐ろしい量の熱と放射線を発する.火力と異なり原子力は,これがすでにヒトの理解を超えるのではないだろうか.それでも,使用エネルギーとくに使用電力の増加とともに原発が増えてきた.電気作りは発電所という職人村に任せて,送られてくる電気は,火力も水力も違いがないから,気にせず使いましょう.そんな暗黙の了解だったのではないだろうか.「原発批判がほとんどなかった」ことは,反省するしかない.そこを責めてもしょうのないことだ.いますべきことは,将来に目を向けることだ.原子燃料の悪しきこと,その頂点は,ゴミの扱いにある.これは,今の,そして遠い未来への責任問題となる.

核燃料を燃やすと高レベル放射性廃棄物という,どうにもならない毒ゴミができあがる.これをどうするのか?地層処分という要するに地中深く埋めてしまうことで,「なかったことにしましょうね」ということをたくらんでいるらしい(いまのところ,処分地は決まらず).生ゴミならいざ知らず,数万年続く猛毒性を持つものを作っておいて,邪魔だから埋めますでは,未来の人々は納得いかないだろう.これは未来へのツケだ,あまりに大きく重いツケだ.この毒ゴミは“万”の年月で厳重な保管が必要だが,そんな計画,計画とは認められない.実際,原発の高レベル放射性廃棄物処理は「JAEA(日本原子力研究開発機構)によると管理は最初の300年間だけ.千年後にガラス固化体を覆った鉄の容器が腐食して,放射性廃棄物が漏れ出すことを前提にしている(日経ビジネス2012/1/30)」だそうだ.一般ゴミに対しても,再利用や循環の考え方が求められている時代だ,こんな循環を無視した手法に,継続性があるとは思えない.そもそも原子炉自体が30年の運用とその後の廃炉を想定している.たった30年でほぼ永久に使いまわしのきかない土地をあちこちに作って,いったい,これを計画と呼べようか.

この核のゴミの点からも,核を使うことは早急に足を洗うべきだが,核に対する違和感は生物的(あるいは本能的)な違和感だ.ヒトのからだの元素組成は,化石燃料を構成する炭素と水素,そして燃やすのに使われる酸素でからだの90%以上を占める.やはり,ヒトになじみの深い物質を使うべきではないだろうか.石油をはじめとする炭化水素の問題点は,燃焼時の二酸化炭素の発生だ.これはこれで,大きな環境問題であるが,二酸化炭素を再固定することの技術的な問題は解消されつつある(あとは,やるかやらないか,だ).まして,二酸化炭素は,ヒト自身も呼吸で排出し続けている物質だ.核廃棄物の不自然さ,危険性に比較したら,“何とかなる”可能性は高い.

石油大量消費を薦めているのではない.産油性の微生物の実用化,それから,地熱(バイナリ―)発電などで,徹底した循環社会を考えるタイミングではないだろうか.二酸化炭素は油にも再循環できるが,核は埋めるしかない.未来を考えれば,ここで迷う意味がワカラナイ.